れおなのブログ~10年の時を経て
震災から10年。なおぽんも、10歳。
部屋の模様替えをしていたら、ぽろっと出てきた、とある日記。この中身を、本日、一部公開しちゃいます。
これはなんと、なおぽんが産まれてすぐに搬送された大学病院で、NICU, GCUの担当看護師さんたちと交わした、交換日記なのです。いつも、私たちは、いい出会いに恵まれます。そして、これは私の書いた部分ですが、自分の人生の、これが一過程だったなとふり返り、この10年の時の流れを・・・、いろいろに、おもうのです。
今日は、今月のフラミンゴ隊オンライン勉強会の日です。
本日ご登場されるのは、エリさん。ひとりひとりにあるストーリー。きっとそれぞれに違うけれど、お互いに受け止め合っていければ、すんごく優しい社会になるんじゃないかなぁ。ご興味ある方は、どうぞいつでもご参加くださいね(フラミンゴ隊は今年度、一人一人の希望するお母さんがホストとなって、勉強会を開催します)♫
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1月13日(木)
今日は朝、脳波の検査があったという事でヘアージェル(!?)でワイルドななおぽんに出迎えてもらいました。その際のトリクロのおかげで・・・・ (中略)・・
昨日、今日と、少し低迷気味な私の気分ですが、もうすぐ、なおとがこの世界に出てきてから3ヶ月目ですね。私の心にも平安が増えたように思います。私にとってもなおとにとっても、一番最悪の時は過ぎたんじゃないかな〜と。
いろんな事を、本当にいろんな事を思い、考えますが、2010年の2月から始まって2010年の10月◻︎◻︎日まで、何だかかどんよりと薄暗く曇った空の下をただ進むよりないって感じで航海を続けていたような、黒い嵐がうずまいて待っているのをどこかで感じていたような、思い起こせばそんな妊娠期間でした。
一番最初にエコーで小さな小さな胎児の袋をみた時から、なんとなく不穏なものを感じましたし、ほんとうに・・物はとりよう、後から何とでもこじつけて考えられるだろう、とも思うけれど、自分で ”そんなことはない” って否定しながら、10ヶ月の間、ちょこちょこと何かしら感じるものがありました。だから、この赤ちゃんは何か異常があるのかな..とか思ったり。でも、なおぽんはそうじゃありませんでした。ただ、大きな大きな嵐が待っていました。
だから。
だから。私が考えたこと。
きっとこういうことは`運命`かもしれません。何度も何度も頭の中で繰り返される「もし」、(〇〇病院でなければ)とか云々は、やめなくては。というより、考えても本当に仕方のないこと。なおとは病気などを持っていたわけじゃないけれど、これが、あの子は通らなくてはいけない、決められていた道なのかもしれない、ということ。そう思うと、自分のしたきた事とか含めて、「振り返る」ということをしないですむようになってきました。
ただ、前だけを見て、ずーっと先の方のことではなく、ほんのちょっと前の方だけを見て、なおとの歩調で歩んでいけばいいかなーと。
と、思いつつ、いまだに余計なことを考えて、上がったり下がったりしてるので、とりあえずここにどかんとぶちまけて自分の中でもふんぎりをつけちゃおう、と思い書きました。
それからもう一つ、(ぶちまけついでに)こうも思います。
もし、神様がいるとして、神様の考えることは分からないけれど、神様が大切な天使たちをこの世界につかわせる時、なおぽんとか、いろいろな病気を持った子ども達とか、そういう形で天使達をおくっているのかもしれない、とか。そうすると、私たちは神様が、まかせて大丈夫って、選ばれたのかもしれない、とか。
どうしたって神様の考えることは分からないのだから、罰なのかも、とか悪いものにイタズラされたのかも、とかnegativeにとらえるより、こう明るく(おめでたく?)とらえて生きていった方が、得、ですよね。
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