れおなのブログ~指筆談にふれた母たちへ贈る, 3つの考察

先週末、第4回指筆談コミュニケーションの会を開催いたしました。

今回もまた、初めて体験する方が来てくださり、みんなでワクワクするひとときを、共有することができました。とっても嬉しいです。同時に、私もはじめてなおぽんと参加した日のことを、思い出したり振り返ったり、しておりました。


初めて体験した方のご家族には、もしかすると、ここからがさまざまな戸惑い、喜び、手探りのスタートとなるかも、しれません。ときには大きな大きな葛藤にぶつかるかも、しれません。


私も、そうでした。


だから、今回の会にかぎらず、今後も指筆談をはじめて体験なさる方で、もしも当時の私と同じような戸惑いをお持ちの方がいるなら、少しでもお役に立てるといいなぁと思って、これを書いています。

もしかしたら、こんなコト、こんな疑問にぶつかるかも、しれません。


”私には身に覚えのない事を、我が子が言っていた・・?” とか、

”そんな経験、本当にこの子、した(させた)かしら・・?” とか。


たとえば、フランス語なんてほぼ知らないのに、「お母さんがいつか見せてくれたフランス語の絵本」なんて言葉が出てきたら、どうしましょう?たとえば、「ほらお母さんなら、わかるでしょう」と言われても、なんにも思い当たることがなかったら、どうしましょう?

これに対する私なりの考察を、3つ、書いてみたいと思います。


1. 子どもは思い違いをするもの。私たちは、思い違いをするもの。

2. 子どもの生きている世界は決して私たちには経験できないもの。もしかしたら、想像すら、できないもの。

3. もしも自分が舞台の上で(スポットライトの下)マイクを渡され、急に何か話してくれと、いわれたら?



1について。


「僕、おばあちゃんちで初めて歩いたでしょ?あの時、ポチが横にいたよね?」

「あなたが初めて歩いたのは、引っ越す前の我が家ですよ。あの頃、ポチはまだ、いなかったでしょ」


こんな会話、よくありませんか?

子ども大人に関わらず、記憶なんて、実にあやふやなものだと、忘れっぽい性分の私はとうの昔から思っていますが、世の中には記憶力に自信あり!な方もいます。そういう方には・・本当に控えめに、こう、申し上げます。


でも。もしかしたらもしかして、それに似たようなことが、あったかもよ?

もしかしたらもしかして、覚えていない、だけかもよ・・?(でなきゃ、子ども自身が、思い違いを、してるのかもね♫)



2について。


どうしたって、わかりっこありません。カラダを思うように動かせない、そしてその状態で長いこと「成長」してきた我が子らが、自由に動かないカラダの代わりに、何を使って生きているのかなんて。「五感をつかって」とはよく言いますが、五感どころか第六感、第七感・・、第十二感(いきすぎ?)を使っていないとは、どうして言いきれましょう? 


身体が健常な人には想像もつかないようなセンスで、部屋の遠く向こうにいる人の会話を聞いていたり、一度見ただけのテレビ画像を鮮明に記憶していたり、どんなことも、あり、かも、しれないのです。カラダの不自由さを体感できない私たちが、みている世界がまったく違うかもしれない彼らの言葉を、簡単に疑ったり、否定するべきじゃぁ、ないと思うのです。


ちなみになおぽんは、おっそろしく、耳が良いみたいです。母である私が部屋に入ってきた気配や、とっても遠くから聞こえる私の声で、ピクリと耳をそばだてる姿を、だいぶん多くの方に、目撃されています。



3について。


言葉をつむぐことが、やっと許された子どもたち。それは一体、どれほどの喜びであり、どれほど待ち焦がれた舞台であり、どれほど、貴重な時間でしょう。自分に与えられたそのわずかな時間に、思いのたけを表現するのです。しかも、そうめったに、こうしたチャンスはやってこない。


「えーーと、あ、ちがった、こうだっけ、いやいやあのね・・」なんて言葉を伝えるなんて、さぞかしもったいなく思うに、ちがいありません。しかも、LIVEです。いいかえたりする事なく、言いたいことを、伝える。おそらく、ICTや文字盤を用いたコミュニケーションをされる方々でも、同じことが言えるのではないでしょうか。限られた環境で、限られた時間で、なるべく、最短な言葉選びをして、その思いを伝えるのです。


きっと、なんて、むずかしい!!


私なんて、もし、舞台にあがって急に何かを言わねばならなかったら、あとから、「あぁ、あんな言い回しをするんじゃなかったなぁ」って、それはもう、後悔だらけの残念な表現ばかりになってしまうはずです。


ときには、断定的な言い回しになっちゃうかも、ときには、抽象的すぎるかも、ときには、期待はずれなことを言うかも、しれない。だから、やっとマイクを握った彼らの、不慣れな舞台上で出たコトバだということを忘れないで、なるべく重箱の隅をつつくような解釈だけは、しないでおきたいものだなぁ・・と思っています。

(「おぉ、そんなに言うのか。よかろう、言うならばカンペキなことを言いたまえ」・・・ではちょっと、あんまりです)


おススメは、もしも、受け入れにくい言葉があれば、いったん、それらを頭の中の「保留箱」にいれておいて(追求せずに)、ためしに毎日、彼(彼女)の指を持ち手を持って、マルバツと数字の練習をしてみることです。

なんだって、まずは、やってみなくっちゃ!


すると案外、今のなおぽんと私のように、彼のみたいテレビがわかり、好きな動物がわかり、ちょっとした会話が可能になり、昔、自分を悩ませた理解できない内容の言葉なんて、いつしか、とるに足りない些細なものへと、変わっていくかもしれません。



以上、指筆談も、視線入力も、スイッチも、ぜ〜〜んぶ初級レベルから一向に上達しない親子の(母の)考察でした♫



最後に、今回ご参加いただいた方の声を、ちょとだけご紹介します。


・本人が考えていること、思っていることが知れるのでおもしろいし、筆談でも自由に書いていることが良かった。

・小さなお子さんが、しっかりとした意見を持っていて、話の合間にニコッとしたり嬉しそうにしていて驚きました。

・声は出せなくてもお話しはできると改めて思ったので、これからもたくさん話しかけていこうと思いました。

・伝えよう、聴きたいという思いがあれば意思伝達はできるのだと感じました。伝えたい子どもたちの目の動き、伝わった時の笑顔が、本当なのだと。



会に来てくださった柴田先生、そしてご参加くださった皆様、本当に有難うございました!(1月25日に國學院大学で「きんこんの会」開催予定だそうです。ご興味のある方は、ぜひ♫)




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「僕たちの 心の声が こうして 本当の声として 伝われば 世の中はもっともっと 明るくなるに ちがいない」  by Naoto

 

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フラミンゴ隊(tai)

+たとえ障がいがあったとしても A あなたの気持ち I  いろんな方法で伝えられる 支援の愛が コミュニケーションを拡げます!

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